冷え切った手を手にとって

「雪、積もってますよ」
　そう言って、彼の隣にたち傘を差しかける。
「そうだな」
　彼は、ただじっと前だけを見てそう言った。
　彼の目の前に広がるのはすべてが雪に覆い隠されたものみの丘。
　今の私には、それだけしか映らない。
　でも、彼の目に今映っているものは、きっとそれだけじゃない。そのことは悲しい別れを経験した私にはよくわかる。

　『強くあってください』

　彼が悲しい別れにつぶされないようにと、私が勝手に押しつけた約束を、彼はよく守ってくれている。
　この、ものみの丘にいるとき以外は。

「風邪。ひきますよ」
「大丈夫だ。馬鹿は風邪をひかないからな」
　私はその言葉にため息をついて、何も言わずに彼の頭や肩に積もった雪を払った。
「別にいいのに。でもありがとう」
「いつから、ここにいたんですか？」
「雪の降る前からだな。来るときは雪が降っていなかったんだ」
　雪が降り始めたが２時間前。ということは彼は２時間以上この冷たい風の吹きさらす丘で、じっと佇んでいたことになる。
「風邪。ひきますよ」
「大丈夫だ。馬鹿は風邪をひかないからな」
　先ほどと同じやりとり。私はもう一つため息をついて、自分の手袋を外し、そっと、彼の手を握る。
　手袋をしていない彼の手は、２時間近く外気にさらされていたせいで、冷え切っていた。
「手、冷たいですよ」
「天野の手はあったかいな。でも、そんな手で俺の手を触ったら、手が冷たくなっちまうぞ」
「そうですね」
　そういいながら、私はぎゅっと彼の手を握りしめる。冷たい彼の手と冬の外気が、手袋に守られていた私の手の温もりを見る間に奪っていく。
　そしてほんの少し、私の温もりが彼に移る。
「莫迦だな。天野は」
「ええ。だからこんなことしても、風邪を引くことはないですから」
　私がそういうと、彼は小さく肩をすくめ、そっと私の手をふりほどくと、なにも言わずに私から傘を取り上げた。
「暖かいものでも飲んで帰ろうぜ」
　そう言って、彼は丘に背を向けると街の方へ歩きだした。
「そうですね」
　私はそういいながら彼の差す傘の中に入り、彼の冷え切った手をもう一度手にとった。彼の心の中の寒さを、少しでも暖めてあげられるように。

FIN

あとがき

冷え切った手を手にとって、PS4の時に没になった美汐バージョンです。悩みましたが、同名タイトルでindexにも載せることにしました。
名雪バージョンを見比べてみると主人公が違うだけで随分雰囲気が変わっているのがわかるんじゃないかと。

2009/2/14　Ver.1.00　完成