傘が守るものたち



「なぁ、舞？」

　そう言って相沢祐一は隣の少女に、複雑な笑顔を向けた。

「ん？」

　そう答えたのは川澄舞。

無口だけれど、多分微笑むと可愛いらしいだろう。

無表情が残念だな、と祐一は思う。

もっとも、年上の女性に可愛らしい、も失礼かもしれない。

無表情で無ければ、みんなにもっと遊んでもらえただろう。

いや、無理か。夜の学校での彼女の行動が行動だったから。

卒業した今となっては、もう関係ないし。

それに彼女には、親友の倉田佐祐理さえいればいいのかもしれない。

『自分だって、余計者の可能性もある』

それが複雑な笑顔の理由だ。

そう言えば、今日の天気予報は、『曇りのち雪』だった様な気がする。

彼女が乗り気でないなら、無理に連れ出した動物園へのデートは中止しようか。

そう逡巡した祐一が質問した。

「舞、天気が気になるけど、動物園に行って良いか？」

「……はちみつクマさん」

　そうか、ＯＫなんだな、と思った。

「佐祐理さんが急に来られなくなったけど、構わなかったのかなぁ」

　そう祐一は小さな声でつぶやいた。

「佐祐理はいないけど、祐一の名前に佐祐理と同じ字があるからいい」

　そうか。確かに「祐」の文字が、重複している。

自分でも気づかなかった事に、祐一は苦笑した。

急なお父様の用事に付き合うから、というので、三人の予定が二人での動物園。

「舞、ホンモノのクマさん、タヌキさんに会えるぞ」

「はちみつクマさん」

　ちょっとはにかみながら、舞が答える。心なしか笑顔に見える。

「二人きりになるとは思わなかったよ、俺」

「たまには、それもいい」

「そっか、佐祐理さんがいた方が明るくていいかな、と思っていたけど」

「ぽんぽこたぬきさんっ！」

　すこし厳しい表情で舞ににらまれる祐一。

舞は二人きりを、それなりに楽しんでいたのだろう。

動物園に入るためにゲートをくぐる。

「舞？何を見たい」

「クマさん。タヌキさん。ウサギさん」

「なんだ、お前に関係ある生き物ばっかだな」

「……」

　少し首を傾げる舞。やはり微笑んでいる様にも見える。

「よし、ここは俺が入場料を払うからな。デートだし」

　ぽかっ！

チョップが祐一の頭を直撃した。舞が照れて、やってしまったらしい。

ふと見ると、舞は鞘に納まった剣をたずさえている。

「なぁ、舞。俺と出かけるのに、なんで剣を持ってるんだ？」

「……」

「別に俺は、襲ったりしないぞ」

「……祐一はかまわない。他の事態への用心」

　返事に困ってしまう祐一だった。

ゲートから、入場料を支払い園内に入る所に『ワンニャン銀行』という看板が出ていた。

つまり、野良犬、野良猫の、最後の生き残りの可能性の場所。

ここで誰かに気に入られないと、動物園の肉食獣の食事になるか、保健所での薬殺が待っている。

残酷だが、そういう仕組みだ。

立ち止まる、舞。

ぐい、と先に進もうとした祐一の腕が引っ張られる形になった。

「祐一、犬さん」

「ああ、犬さんだな」

「それに、猫さん」

「うん。どうしたんだ？」

「放っておいたら、殺される」

「舞。全部の犬、猫を飼う気か？何頭いると思う？」

「ぽんぽこたぬきさん・・・」

　舞の声が、しおれた。襲い掛かる山犬にすら、自分を噛ませた少女。

見捨てられ、約束の日が来るまでただただ、待たされる悲しさを知る、舞。

困った、本当に困った。

その時、祐一の携帯電話が鳴った。

「はい、相沢です。あれ、佐祐理さん？どうしたんですか」

「…………」

「いや、こっちは、ゲートを入った所で、舞がほら、犬と猫の所で止まってて」

「…………」

「そうです。そのコーナー。うーん、今いるのは、犬が十頭で、猫が十二匹です」

「…………」

　伝言を聞いてから、電話を切った。

「舞、佐祐理さんがな、みんな可愛い、犬と猫か、ってさ」

「みんな可愛い」

「よし、わかった。じゃ、ちょっと待ってくれ」

　祐一は折り返しの電話をかけた。

「あ、もしもし。倉田さんのお電話でしょうか？相沢ですけど」

「…………」

「ええ、みんな可愛いっていうんですよ、どうしましょう？所持金？いや、高校三年だから」

「…………」

「それをすると、入園できなくなりますから舞と相談します」

　舞に質問する祐一。

「なあ、舞。動物園への入園はあきらめられるか？」

「ぽんぽこ……？祐一、どういう意味」

「俺の懐じゃ、二十二匹の犬と猫の鑑札と予防接種をしたら、何も残らないって事」

「それは、どういう事？」

　舞が繰り返して質問した。

「佐祐理さんが、鑑札の手続きと予防接種がすんだら、佐祐理さんの家で飼ってもいいって」

「は、はっ、はちみつクマさんっ！！」

「じゃ、入園はあきらめてくれるかい」

「そういう事なら、あきらめる。今度、佐祐理も一緒に来ればいいから」

　祐一は、電話の続きを始めた。

「あのぉ、今日は動物園に入園しなくて良いそうです。で、鑑札と予防接種はまかなえます」

「…………」

「そうですね、じゃ、係員の方に頼んでみます。ええっ、名前を出して良いんですか？」

「…………」

「はい、ありがとうございます。舞が喜ぶのが一番ですから。それじゃ」

　電話を切った。

「舞、喜べ。二十二匹、鑑札と予防接種して良いってさ。俺、係りの人に掛け合うよ」

「自分も行く」

「横にいるだけでいいからな。話は俺がするよ」

　祐一は『ワンニャン銀行』の窓口の女性職員の所へ行った。

「あのぉ、全部で、犬が十頭、猫が十二匹ですよね？」

「はい、犬か猫を、どれかお選びですか？」

「全部」

「ええっ！」

「だから、全部です、合計二十二。犬と猫を足すのも変ですけどね」

「あの、お持ち帰りですよね」

「すいません、車じゃないんで、預かっておいてもらえますか？」

「そういうお約束は……」

「えーと、倉田議員はご存知ですよね？」

「はい。それはもちろん。議員会の会長をなさっている倉田議員ですね？」

「その倉田議員の家から、今から、受け取りに車が来ます」

「えっ！あなたはどういう方ですか？お若いですけど」

「議員の娘さんの友人です。俺が鑑札と予防接種の代金を払います」

「本当に倉田先生の関係の方ですか？」

　疑われても仕方がない。

やむなく、舞、佐祐理さん、自分とで倉田邸で撮った携帯の画像を見せた。

運良く、佐祐理さんのお父様が後ろで娘の監視のために写っていた。

「あの、こちらが倉田議員、こっちが議員の娘さん。あとはここにいる二人です」

「わかりました、お預かりします。あなたのお名前は？」

「相沢祐一。あと、あっちで犬たちと遊んでいるのが川澄舞です」

　いつの間にか、舞は手続きから興味が逸れて、犬さん、猫さんと遊んでいた。

「じゃ、手続き、このお金でやっておいて下さい」

　代金を払ったら、本当に空っぽになってしまった。

舞と二人で、ゲートから出る。

「動物園、残念だったか？舞」

「残念じゃない」

「どうして？クマさんたちに会えなかったろう」

「犬さん、猫さんに、いっぱい会えた」

「そうか。なるほどね」

「それに、犬さん、猫さん、佐祐理の家に行けば何度でも会えるから嬉しい」

　少し首をかしげて、うれしそうな表情を舞が見せた。

祐一はその顔に粉雪が落ちて、横切るのを見た。

「舞、雪だぞ」

「うん、雪が降ってる」

「お前、剣は持ってるけど、傘は無いんだなぁ」

「祐一、これ、剣じゃない」

「ふーん、前に魔物退治してた剣じゃないのか？」

「もう、魔物は出ない。祐一が、こうやってそばにいるから」

「じゃ、何？それが傘だとでも言うのか」

「はちみつクマさん！！」

　思いっきりの笑顔で、舞が鞘から柄を持って剣を引き抜いた、と思うとそれは細く巻いた傘だった。

「なんだよぉ。一つっきりか。ま、俺は雪をガマンすればいいんだけどな」

「ぽんぽこたぬきさんっ！！」

　笑顔のまま、舞が鞘を柄につないだ。

結構な長さの剣に匹敵する傘に、同じ位の長さの柄がついた。

そんな仕掛けを、いつしたのかわからないが。

「おい、二人で一つの傘か？それ相合傘って、恋人同士がするやつだぞ？いいのか」

「はちみつクマさん」

　舞が照れながら答えた。結局、相合傘での帰宅になった。

祐一が、水瀬家に帰ると、名雪がにこにこ笑いながら待っていた。

「さっき、倉田先輩から、電話があったよ。犬さん十頭、猫さん十二匹、届いたって」

「お、そうか無事届いたのか、良かった」

「祐一？猫さん。見に行きたいよぉ。犬さんも」

「アレルギーだろ、猫は」

「でも行きたい。川澄先輩も行くんでしょ、倉田先輩の家に。私も遊びたいよ」

「猫さんと犬さんと、遊びたいわけね。でも雪だぜ」

「私、雪は平気だもん。ね、祐一、倉田先輩の家に行こうよぉ」

「涙と鼻水で、ぐじゅぐじゅになるぞ」

　そう言いつつ、祐一は佐祐理の携帯に電話を入れた。

断る様な佐祐理ではない。それに、すでに舞が行って、犬さん猫さんと遊びまわっているらしい。

「名雪、ＯＫだってさ。雪だけど、いいんだよな。今から行くか」

「うん、猫さん、猫さん、犬さん、犬さん！！」

　良い笑顔が戻って来た。準備して出発。それぞれに、雪対策に少しすぼめた傘をさして歩く。

「なあ、名雪？」

　そう言って、相沢祐一は隣の従姉妹に、イタズラな笑顔を向けた。

「ん？何、祐一」

　名雪が答える。祐一は良い従姉妹だなと、しみじみ感じていた。

「相合傘でも良かったな、名雪」

　小さな声で、祐一はふざけてささやきかけた。

「それは、川澄先輩としたんでしょ、わたし知ってるよ。見ちゃった」

　しまった。家の前あたりで、あの奇妙な傘での相合傘を見られたらしい。

「でもいいよ。今日は傘、一つしかなかったんでしょ」

　そう言って、名雪は、とても優しい笑顔を返してきた。怒っているわけではないらしい。

「今度は、わたしと動物園か水族館に行こうね、祐一のオゴリだよ」

　イタズラっぽく付け加えた後、名雪は、この地域のわらべ歌の節で替歌を歌い始めた。

「猫さん、猫さん、あそぼ、あそぼ。犬さん、犬さん、遊ぶの、わーくわくっ……」

　歌うリズムに合わせてゆれる傘。

さっき舞と一緒に歩いたあの傘。

色々な傘が、人や、犬、猫、あらゆる物を守ってくれるといいな。

あの無愛想な舞も、不器用な自分も、陽気なのんびりした名雪も、佐祐理さんも。

そんな想いが、祐一の頭の中に、雪の様にふわり、ふわりと浮かんでいた。

傘をさした二人の姿が、倉田邸に入っていったのは、間もなくの事だった。



＜終＞