「かえる」

　私はカエル。名はけろすけ。水瀬家の玄関にいる小さな置物である。もう年数を忘れるほどこの家にいて、楽しみは朝と夕に布で秋子殿に綺麗にしてもらうこととこの家の住人が怪我がなく無事に「かえる」ことを見ることである。

　私は「みんながぶじにかえってきますように」とこの家に連れてこられた。
　玄関にいることを命じられた時の、秋子殿が言った「私たちを見守ってくださいね」と言う言葉と笑顔は今でも忘れない。それを見つめる主殿の優しい表情も。忘れないからここでじっとしている。毎日まいにち、皆が無事に戻ってくるように、祈りながら。
　一度だけ、祈りが届かなかったことがある。あれは、強い吹雪の日。ここの主殿が亡くなった時だ。この家にただのモノとして帰ってきてしまった時のことも今でも忘れていない。涙を流せない秋子殿のかわりに抱き抱えられた幼い娘がただひたすらわんわんと泣いていた。いつまでもいつまでも。降り積もる雪のように悲しみを積もらせていた。


　あの時は悔しかった。故に私は雪が降り出すこのころ、一番嫌な気分になる。そしてさらに祈るのだ。「秋子殿と名雪が怪我せずに無事にかえってくるように、と。
　こんなカエルの置物のたわごとが、祈りが神に通じるのかは分からない。だが、大きい病気もなく無事に過ごしているところをみると、私の祈りも少しは届いているのかもしれない。
　そんなことを思っていた時、そいつはやってきた。


　魔法使い



　名雪が何度か口にしたことがあるので知っている。魔法を使うことができる者のことを言うらしい。そう。魔法。何でもできるらしい。赤いカバンを背負っていたころの名雪が秋子殿に何度も言っていたことなのでどこまで信憑性があるかは問題だが。
　だが、事実、この家に魔法使いはやってきた。様々な者たちをつれて。

　病魔に冒されている者。自分という魔物にとりつかれた者。人は言うに及ばず獣、生き霊、…雪に心を閉ざされた者たち。そして昔の記憶にしがみついている者。そう、冷たいものにおかされている者たち、心の底から笑うことを忘れてしまった者たちがこの家の扉を開けては入り、出て行った。



　私はカエル。「みんながぶじにかえってきますように」という祈りしかできないモノ。


　だが、魔法使いは魔法を使った。この家で。この街で。






　雪は溶ける。


　魔法使いは魔法を使った。冷たいものを溶かしたのだ。雪を溶かす太陽のように。春を誘う風のように。

　病魔にとりつかれていた者はその病魔を消し去り、大切な姉の笑顔とともに太陽のもとで笑えるようになった。
　自分という魔物にとりつかれた者は自らその魔物を受け入れ、微笑みという大切なものを取り戻した。
　獣は人々から愛される「人」となり、明るい笑顔をつくるようになった。
　生き霊は自らの身体に戻り、再び人としての笑顔を取り戻した。


　そして…名雪の小さいころに積もってしまった心の根雪をも溶かしてしまった。あのねぼすけの、あの遅刻魔の、私を連れてきてくれた夫婦の一粒種の、あの娘の大輪の笑顔。信じていた者から与えられた愛。それを受ける喜び。笑顔。

　
　魔法使いはこころから笑えるように魔法を使ったのだ。

　だが、そんな魔法使いもミスを犯した。秋子殿が事故にあったというのだ。何日もなんにちもかえらない日が続く。折角大輪の花のような笑みを浮かべていた名雪の顔から笑みが消える。

　魔法使いよ。私は祈っている。お前は魔法使いだろ？　秋子殿はかえるのだろう？

　私は望んでいるのだ。お前が使った魔法を。再び名雪や秋子殿が笑えるような魔法を。


　私はカエル。「みんながぶじにかえってきますように」という意味で玄関にいる。祈る先はもちろん神様だ。

　だが、このときだけは魔法使いにも祈った。頼む。お前の魔法を使ってくれ。秋子殿をかえらせてくれ。名雪に笑顔を取り戻させてくれ。


　神様。魔法使いよ。私の祈りを聞いてくれ。頼む。たのむ…。


　魔法使いは魔法を使ったのか？　それとも神が祈りを聞いてくれたのか？



　願いは通じた。




　雪が溶けた今、扉を開ける者たちの顔に冷たいものはない。秋子殿、名雪、魔法使いは毎日を楽しんでいる。私は玄関しか見ることができないが、居間から伝わる気配は明るい。晴れた日に巣立ちを迎えた小鳥のような羽根を背中に広げているように、さわやかで、軽い。秋子殿の柔らかい笑い声も聞こえるようになった。


　ああ、魔法使いのおかげでこの家は幸せに満ちている。

　私はこの幸せを噛みしめながらもまた祈る。

　皆が無事にかえるように。
　皆の幸せにかえるように。

　だけど。一つだけ魔法使いには意地悪をしようと思う。あんなに名雪に愛されているのだ。当たり前だ。

　名雪が大好きな「けろぴー」は私の弟だ。けろぴーは名雪を一心に守るという感情でいっぱいだ。

　そんなけろぴーに私は言ってやった。「お前の名雪を奪うやつが現れたぞ」と。早速けろぴーは名雪を守るために色々始めたようだ。
　近づけないような夢を見させられるか、帰り道に迷って帰れないようになるとか。せいぜい弟にいじめられろ。それでも名雪が笑っていられるようなら…


　お前にも言ってやる。

　ちゃんと無事にかえりますように。と。


　まだまだ先だがな。ふん。

FIN

あとがき

BGMはアリスのチャンピオンでした。
カエルが祈ってるとき、「おお、神よ。すくーいーたーまえー」っつー歌が頭を流れてそのまま歌いながら書いてしまいました。