あたしはまだ、何にもできていないから

　　あたしは、劇場の屋上のいつもの場所に座り込んで、ぼんやりと風景を眺めていた。
　ビルの奥の更にその奥に真っ赤な太陽が沈んでいくのが見える。
　こっちに来て、何度この風景を見ただろうか。
　あたしがこの時間、この場所に来るのは、だいたい嫌なことがあったときだ。
　北海道と内地では、空の広さが違う。それでも、沈んでいる太陽の赤さと綺麗さは北海道も内地も変わらない。
　あたしは、この時間の空を見るのが好きだった。真っ赤に染まった風景が、だんだん深い藍色に沈んでいくこの時間が。


　あたしは今日、劇場内オーディションに合格できなかった。
　オーディションは演技力を試された。
　競い合ったのは、育ちゃんだ。
　あたしは演技が苦手だ。実際横から見ていても、育ちゃんの方が演技が上手かったと思う。
　だから、しょうがない。……でも。ため息は出る。
　あたしは今日のオーディションで、劇場内・劇場外併せて、１５回連続不合格を達成した。
　同じ年齢のアイドルたちは、すでに何度もオーディションに合格して、いろいろ結果を出している。
　テレビ番組やＣＭに出演しているアイドルもいる。
　１４歳以下で結果を出していないのはあたしだけだ。
「あたしは、本当にみそっかすなんだなぁ」
　沈んでいく太陽を見ながら、ため息をつく。
「大空を〜♪」
　落ち込んだときには、先輩たちのこの曲を口ずさむ。
　あたしがどんなにみそっかすでも。いや、みそっかすだからこそ、失敗は流してリスタートしなくっちゃいけない。
　あたしが他の人に勝てるのは、それこそ、エンドレスな向上心くらいしかないから。
　あたしはいつものように沈んでいく夕日を見ながら、歌を歌う。
　立ち上がるための力を歌からもらうために。

　歌い終わるとぱちぱちぱちと拍手がなった。
　びっくりしてその方向を見ると、律子さんがそこにいた。
「律子さん……」
「ひなたが歌うと、その歌も優しく温かい感じの歌になるのね。その歌はよく知ってるだけにびっくりしたわ」
「そうかい？　あたしにはよくわからないけど……。そう言ってもらえるのは嬉しいよぉ」
「その歌を歌っているということは、結構嫌なことがあった？」
「え？」
　あたしはその言葉にびっくりして、まじまじと律子さんの顔を見つめる。
「なんでわかったって？　顔しているわね。そりゃわかるわよ。私もよく歌うし、よく聞くからね。元気出したいときにはなおさら」
「律子さんもかい？」
「大事なオーディションで失敗したときなんか特にね。ひなたは今日はなんで歌ってたの？」
　あたしは小さくため息を付いて、律子さんに今日までの状況を話す。
　今日、育ちゃんにオーディションで負けたこと。今日で、オーディションに１５連続不合格だったことを律子さんに説明する。
「１５連敗か。それは確かににちょっと凹むわね」
「……」
「それで、アイドルやめるの？」
　あたしは律子さんから視線を外し、下を向く。
　律子さんがそう言うってことは、向いてないからやめろっていうことだろか？
「律子さんのそれは、向いてないからやめたほうがいいっていうアドバイスかい？」
　あたしのその言葉に、律子さんは何も言わずに微笑んでいた。
　でも。北海道から一人で内地に出てきて、あたしはまだ何も結果を残していない。
　だから、あたしは拳をギュッと握る。たとえ、律子さんが向いていないからやめたほうがいいという意味で言ったとしても、あたしはここで諦めて帰るわけにはいかない。
「アイドル、やめないよぉ。あたしはまだ、何にもできていないから。だから、ここでアイドルやめるわけには、いかないべさ」
　あたしは顔を上げて、改めて律子さんを見つめる。
　律子さんは、先程と変わらず微笑んでいた。
「うん。そう言うと思っていた。私は、ひなたがアイドルに向いていないとは思わない。あの曲をあそこまで優しく温かく歌える人は、そうはいないわ。それは、すごい才能だと思うの。それに、一人で立ち直れるところもね」
「立ち直れるところ？」
　律子さんの言う意味がピンとこず、あたしは首を傾げる。
「落ち込んだ気持ちを一人で立て直すことができるのは、それだけで強みだということ。いつも誰かがそばにいてくれるわけじゃないからね。私はそれを強みだと思ってるわ。でもね……」
　律子さんはそう言いながらあたしの手を取り、その手を両手で包み込む。
「一人で立て直すことができないときは、誰かを頼りなさいね。その誰かは、学校の友達でもいいし、劇場の誰かでもいいし、もちろん、私でもいいから」
　律子さんはそう言うと、あたしに向かってきれいなウィンクをしてみせた。
「律子さん……」
　あたしは、コクリと律子さんの言葉に頷いた。律子さんの言葉を噛み締めていた。
　あたしが誰かから褒められるのは本当に久しぶりのことで、その事が本当に嬉しかったから。
「私は戻るけど、ひなたはどうする？」
　その言葉と同時に、律子さんの手が解ける。気がつくと夕日はほとんど沈み、あたりは暗くなっていた。
　ちかちかちかと劇場の看板にも明かりが灯る。
「あたしも戻ろうと思うんだけど、その前に、一つお願いがあるんだけど……、……いいかい？　律子さん」
　律子さんが頼ってもいいと言ってくれたから。今日はその言葉に甘えることにした。
　だから、あたしはそんな言葉を律子さんに投げかけた。
「いいわよ。ひなたのお願いなら、私にできることなら、何でも叶えてあげるわ」
「じゃあ、あたし、今日は焼肉食べたいんだけど、一緒に行ってくれないかい？」
　頑張って元気は出した。律子さんに褒めてもらえた。あたしはもう前向きになっていた。
　だからまた、一日一日を頑張るだけだ。でも、それには美味しい食べ物が必要だと思ったのだ。
　おいしい食事。誰かと一緒に、楽しく食べる食事が。一人で食べる食事は、寂しく味気ないものだから。
「それくらいお安いご用よ。プロデューサー殿に教えてもらった、お店があるから、そこに行きましょう。そこは葡萄のゼリーが美味しくてね。是非ひなたにも食べてほしいわ」
「本当かい。それは楽しみだべさ」
「それじゃあ、行きましょうか。私も焼き肉久しぶりだから、ガッツリ食べるわよ！」

　結局、その日は劇場にいたみんなと焼き肉に行った。
　みんなで食べる夕ご飯は賑やかで楽しく、そして美味しい。
　明日からまた頑張れそう。
　みんなのおしゃべりを聞き、お肉を頬張りながら、あたしは明日への気力が満ちていくのを実感していた。

FIN

あとがき

初期ひなたは演技がかなり苦手なんですよね。魔女の演技は怖くなく、
ただただ、かわいい。なので最年少の育ちゃんと演技勝負で負けるのは必然。
うまくいかないけれど、北海道から一人暮らしをしてアイドルやってる心の強さ。
その心の強さを見守ってる律子というおはなしでした。
ここで声をかけるアイドルが律子なのは、LTPで一緒だったから、というのが一番の理由です。