「エミリーちゃん。良かったらこれ、もらってくれるかい？」
ひなたさんはそう言って、小さな包装紙を差し出した。
「え？ ありがとうございます。何ですか？」
ひなたさんのプレゼントは、本当に何の脈絡もなく突然で、私は首をかしげながら包みを開ける。
中から出来たのは、白地に黒猫の柄の入った スクランチーだった。
「これは……」
私は頭をフル回転させ、スクランチーを日本語に訳す。
「砂糖天麩羅状布付き護謨ですか？」
私の言葉に、ひなたさんはとまどいながら、言葉を返す。
「えっと、それは、その、砂糖天ぷらなんたらゴムはこのシュシュを指してると思っていいかい？」
「ええ、ひなたさんの言った言葉はフランス語なんです」
「シュシュってフランス語なんだねぇ、知らなかったよ。エミリーちゃんは博識だねぇ」
ひなたさんの言葉はいつも真っ直ぐだ。その言葉の対象が年下だろうが、年上だろうが、同年代だろうが。
自分の知らないこと・出来ないことを、素直に知らない・できないと言い、それを知っている・出来る人を手放しで褒める。
褒められるのは、認められるのはとても嬉しいことなのだけど、ひなたさんの言葉は時に真っ直ぐすぎて、心の内にぶすりと刺さる。
ひなたさんに褒められて、茜さんや奈緒さんが挙動不審になるのは、劇場ではよく見る光景だ。
今のひなたさんの真っ直ぐな賛辞も、私の胸の内に刺さり、思わず私は顔を赤くしてしまった。真っ直ぐな賛辞と、キラキラとした瞳が眩しい。
照れくさい気持ちをごまかすように、私はひなたさんに問いかける。
「えっと、この、砂糖天麩羅状布付き護謨をどうして私に？」
その言葉にひなたさんは、少し心配そうな表情を浮かべながら教えてくれた。
「これはね、この前エミリーちゃんが『最近ついていない』みたいなことを言っていたから。少しでも、エミリーちゃんの元に不運がやってこないようにって、ちょっこし、探してみたんだぁ」
「そうなんですか？ ありがとうございます」
そう言いながら、ひなたさんに『ついてない』という話をしたかなあと、記憶を掘り起こす。
――ここ数日、些細なことだけど運がないようなことが多かった。想定外の渋滞に巻き込まれて遅刻したり、目覚まし時計が止まっていて、遅刻すれすれになったり、いつもは持っているはずの折りたたみ傘を、たまたま家に忘れたタイミングで雨に降られたり。そんな小さな不運が重なっていた。
そのことを私が劇場で話したのは、一昨日のことだ。
でも、あのとき私は紬さんと喋っていて、その会話にひなたさんは参加していなかった。確かあの日、ひなたさんはすこし離れた場所に陣取り、独りで台本か何かを読んでいたはずなのに。
ひなたさんが参加していない会話の、何気なく飛び込んできた私の言葉を、わざわざ拾ってくれたのだと理解した。
「エミリーちゃんだったらもっと日本的なモノが良いかなぁと探していたんだけど、黒猫と金髪が合うかなあと思って。それにね。ばあちゃんに教えてもらったことがあるんだけど、黒猫って、昔の日本では幸運の象徴と考えられていたんだって」
「そうなのですか？」
ひなたさんが昔の日本ではと言っているということは、今の日本ではあまり良いとされていないようだ。イギリスでは、昔から黒猫は幸運の象徴なのだけど。
「おみやげ屋さんで、黒い招き猫見たことないかい？」
温泉地ロケに行ったときのことを思い返す。
「確かに、白と金に混じって黒い招き猫も見た記憶があります」
私にとって、黒い招き猫は当たり前に幸運を招くモノなのだけど、日本人の中にはあの黒い招き猫に疑問を持つ人がいるということを、ひなたさんの問いかけで理解した。
「ばあちゃんが言っていたのだけど、黒猫には、厄よけとか魔よけの力があるとされているんだって。だから、ついていないって言ってた、エミリーちゃんにぴったりかなぁって。シュシュの黒猫がエミリーちゃんを守ってくれますようにって、選んだんだよぉ。それに、新しい小物ってちょっとした気分転換になるっしょや。だからもらってくれると嬉しいんだけど……」
ひなたさんの心遣いに、胸が温かくなる。私の些細な愚痴めいた言葉を聞いて、ひなたさんは、わざわざお店に行ってスクランチーを探してきてくれた。こういったきめ細やかな心遣いこそが大和撫子の本質なのではないかと、胸の内に刻み込んだ。
「ありがとうございます。せっかくなので、早速つけさせてもらいますね」
私はそう言いながら、ツインテールを作っている髪ゴムをはずし、もらったスクランチーを同じ場所につけようとして、手を止めた。
「ひなたさん。よかったら、この砂糖天麩羅状布付き護謨をつけてもらえませんか？」
「わかったよ」
ひなたさんは、袋からスクランチーを取り出し、私が思っていたよりも慣れた手つきで、それをつけてくれた。
「はい。こんな感じでどうだい？」
ひなたさんは自分の鞄から鏡を取り出し、スクランチーでくくった部分を見せてくれる。
「あたしの見立ても悪くなかったね。エミリーちゃんに似合ってよかったべさ」
確かに、金髪に埋もれる黒猫はおしゃれで素敵だった。
「じゃあ、これ、残りだよ」
スクランチーは3個入りで、ツインテールの根本に1つずつ、計2個使用したので、1つ余ることになった。
私は、受け取ったそれをポケット中に入れようとした瞬間、素敵なことを思いついた。
「ひなたさん。左手、出してもらっても良いですか？」
「どうしたんだい？」
ひなたさんは首をかしげながら、そう言って私に左手を差し出す。
私はそのひなたさんの左手をとり、持っていたスクランチーをひなたさんの左手首にはめた。
「不運よけのお裾分けです」
「でも、これ、エミリーちゃんにあげたんだよ？」
「だからこそです。私のためにいろいろ考えてくれたひなたさんに、不運よけのお裾分けを、是非したいと思ったんです。それに……ひなたさん。私とお揃いは嫌ですか？」
私はそっと顔を伏せ、上目遣いにひなたさんをのぞきこむ。
ひなたさんの頬に一瞬紅色が乗った。その後、ひなたさんはいつもの見ている人が温かくなるような――文字通りひだまりのような温かい微笑みを浮かべて言った。
「そんなことないよ。そう言ってもらえれて、嬉しいべさ！」
私もそのひなたさんの言葉を聞いて、微笑みを浮かべる。劇場で衣装以外でこういったお揃いは、あまりしたことがなかったから。
「ひなたさん、改めましてありがとうございます。早速良いことがありました」
「えぇ！？ まだ何も起こってないよねぇ？ 何かあったかい？」
きっと、ひなたさんは気が付かない。
私がひなたさんからスクランチーをもらったこと、ひなたさんと私がお揃いのスクランチーを身につけていることで、こんなに胸が弾んでいることに。
でも、それでいい。今は、この嬉しい気持ちを自分だけの胸にしまっておきたいから。
だから、私は貴音さまのまねをして言うのだ。
「それは、最高級機密です！」
と。
FIN
あとがき
エミリーはカタカナ語を英語に翻訳した後にエミリー語に変換するんだろうなという考えて、こんなお話になりました。書いていてもすごく混乱しました。