かりそめのその手が温かくて

「私を彼女にすればいんですよ！」
「え？」
「だって、私も西浦さんに何かしてあげたいですし、ほら、せっかくのご褒美の機会ですし。だから、私が彼女になる事がご褒美です。これなら、お姉さんにも格好つきますし、私も別に好きな人とかいませんし、彼女って言われても何の迷惑もないですから」
　そう言って、真言ちゃんは、俺の『彼女』になった。
　それは、つまり肩書きだけの彼女。彼氏彼女の関係とはとても言えない。
　２年前。ゲーム倶楽部でバレンタインのチョコレートをもらってから、ずっと真言ちゃんとそういう関係になりたいと思っていた。
　だから、それが本当にただの『彼女』というだけの称号で、見せかけだけの関係でも嬉しかった。
　少なくても、このフラグはすぐには消滅しない。そう思ったから。
　真言ちゃんにとっては、俺にご褒美をあげたいという純粋な好意で、そうしてくれたのだし。
　でも、真言ちゃんの好意はあくまで好意であって、恋愛感情はないみたいで。
　それを考えると、それ以上に悲しさと寂しさが襲ってきたけれど……。
　でも、それでもだった。俺はそんな名義だけの彼女でも真言ちゃんとそんな関係になれたことを喜んでいた。

　そして、真言ちゃんが『彼女』になってから、数週間が過ぎたホワイトデーのその日、俺はいろいろな用事を済ませた後、ゲーム倶楽部に向かった。
　見慣れたお店。PS3のゲームの棚の近くに、真言ちゃんはいた。
「こんにちは、西浦さん」
「いらっしゃい」
「こんにちは。真言ちゃん。おっちやん」
　そう言いながら、俺は真言ちゃんに手を振る。
「で、今日は何が欲しいの？」
　今月は真言ちゃんが好きなジャンルのゲームは、確か出ていなかったはず。そう思って、確認する。
「メモリスティックを買ってもらおうかなって」
「メモリスティックでいいの？」
「はい、一番安いので。今やってるPS3のソフトは一本なんですけど、いざというときのために、バックアップ取っておきたくて」
「あーわかる。精密機械度上がってるから、何かあったとき怖いよね。じゃあ、おっちゃん。これ」
　そういって、一番安くて容量の小さいメモリステイックを棚から取り、おっちゃんに渡す。
「たしか真言のPS3は、40GBのやつだよな。カードリーダーがないとこれ使えないぞ」
　その言葉を聞いて、真言ちゃんはじっと俺を見つめる。何も言わずにただじっと。
　俺はその視線の意味を十分に理解していた。
　「……じゃあそれも」
　数秒後、俺は真言ちゃんのためにその言葉を発していた。
　その瞬間、真言ちゃんは本当に嬉しそうににっこりと微笑んだ。
「毎度あり」
　おっちゃんは少し気の毒そうな顔をしながらそう言って、メモリーステイックとカードリーダーを包んでくれた。
「それじゃあね、おっちゃん」
「それじゃあ、また」
「ああ、また来てな」
　俺と真言ちゃんはそう言って、おっちゃんに別れを告げ、外に出た。
「西浦さん。ホワイトデーのプレゼントありがとうございました」
　外に出て開口一番、真言ちゃんはそう言った。
「喜んでもらえたみたいでよかったよ。じゃあ、またね」
　彼女との逢瀬はいつも短い。例外は家庭教師をやっていたときだけだ。
　もっとも、そう考えているのは俺だけで、真言ちゃんは逢瀬だとはこれっぽっちも思っていないだろうけれど。
「改札まで送りますよ」
「遠回リになっちゃうよ？」
「いいですよ。高いもの買ってもらいましたし」
　そう言いながら、真言ちゃんはそっと俺の腕を取った。
「え？　あの、真言ちゃん？　これ……」
　とくり。彼女の取った行動に胸が高鳴る。
「腕組んじゃだめですか？　私一応『彼女』って事になってますから、これくらいはしないと」
　彼女の言葉に、高鳴った胸が少し収まる。そこは強調しないでほしかったなと、心から思う。
　彼女の行動は、俺にとってはとても大胆で、そのことにすごく胸をときめかせている自分がいるのがわかる。
　真言ちゃんとの関係は、二次元の彼女たちと同じ。名目だけの称号だけの彼女だ。
　でも、今はそうやって彼女になりきって行動してくれることが嬉しかった。
「そ、そんなこと無いよ。真言ちゃんが嫌じゃなければ……」
「全然嫌じゃないですよ」
　そう言って、屈託の無い笑顔を浮かべる彼女が、俺には本当に眩しくて。
　伝わってくる感触は、柔くて。温かくて。何よりその時間が俺にはとても大切に思えて。
　こんな幸せな時間を過ごせるなら、例えのかりそめの関係のままでも良いから、こんな時間がずっと続けばいい。
　二人で駅へ向かいながら、俺はそんなことを思っていた。


　「それじゃあ、気をつけて帰って下さいね」
　「ありがとう。真言ちゃんも気をつけてね」
　見送ってくれた真言ちゃんに手を振り、改札を抜けプラットホームへ続く階段を移動する。
　背中越しに改札の向こうを見ると、真言ちゃんはまだその場にいて、俺のことを見送ってくれていた。
「おやすみなさい」
　そう言いながら手を振ると、真言ちゃんも気がついて、小さく手を振ってくれた。
　プラットホームに着くとタイミングよく、行き先の電車がホームに滑り込んできた。
　この時間の上り電車はがらがらで、俺は空いてる端の席に座る。
　ふぅ。と小さくため息をつく。楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。
　ふぅ。ともう一度小さくため息をつく。かりそめの時は終わった。そう思うと急に寂しさが押し寄せてくる。
「……なんか」
　真言ちゃんが絡めていた腕を思い出し、そっと自分の手を、今まで真言ちゃんの手があった位置に重ねる。
「……小さい手だったなー」
　ほんのついさきほどまで絡められて腕は、そこにもうない。
「まだ感触が残ってるな……」
　すぐにでも脳内で先ほどの時間、そして彼女の柔らかい感触と温かさがリフレインする。
「世のカップルがくっついて歩くのわかるわ……」
　ほんのちょっとの間腕組んだだけなのにすごい幸せだった。ずっとこの時間が続いてほしいと、心から思っていた。
「どうしよう。たったあれだけで、死ぬほど幸せで……」
　もし、本当に真言ちゃんが彼女だったら。でも、それは今は叶わない想いで……。
「彼女のふりだけなのに満足している俺って……」
　だから俺は呟かずにはいられなかった。
「なんか、今ゲームやったら、主人公の気持ちが前よりわかる気がする。今までの人生で一番の収穫かもしれないな」
　ゲームの中の攻略したい彼女とのハッピーエンドを見るように、現実でも真言ちゃんルートでハッピーエンドが見られればいいのに。そう思いながら、俺はPSPの電源を入れた。
　せめて、ゲームの中で今の気持ちをもう一度味わいたくて。

あとがき

このお話は６巻第４２話「視線認証ＡＴＭ」〜「愛情貧乏性」の西浦視点のおはなしです。
６巻の西浦さんはまだ、切ない状態なんですよね。これから、これからこの関係は面白くなっていくのです。
西浦さんに早く本当の春が来ると良いなあ。９巻くらいかな？

2011/06/02　Ver.1.00　完成